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  • 原民喜/著
  • 46変形版 上製 168ページ
  • ¥1980 (本体価格 ¥1800 + 税)
  • 2016年08月05日 発売

紹介

光の言葉に充ちた小説集
——批評家・若松英輔氏(読売新聞書評)

あの日、自分がまだ子どもだった頃
同じような風景を見ていたような気がするのは、なぜだろう

遠藤周作や大江健三郎が絶賛した小説「夏の花」の作家が、原爆投下以前の広島の幼年時代を追憶する、美しく切ない短編小説集―。広島・被爆70年という歴史の節目に話題になった、同地出身の詩人・小説家、原民喜(1905~1951)の文学を「新版」として刊行します。

原爆投下直後の広島の惨状を描いた名作「夏の花」で知られる作家・原民喜。戦後、自ら命を絶つ前に、作家本人によって編まれた短編小説の連作「幼年画」を単行本化しました。古書・蟲文庫の店主でエッセイストの田中美穂の解説を付し、原民喜の知られざる初期作品に新しい光をあてます。

「詩人であり小説家である原民喜の名前は、原爆投下直後の広島を書いた名作「夏の花」で知る人が多いと思う。……「幼年画」は、原爆以前に書かれた初期の作品集で、これまで全集にしか収められていなかった。タイトルのとおり、おそらくは誰しもが持っていたはずの「幼き日」の記憶が、春から 夏にかけての瀬戸内のやわらかな風土とともに、 せつなく美しく描かれている」(田中美穂「解説」より)

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前書など

杏の実が熟れる頃、お稲荷さんの祭が近づく。雄二の家の納屋の前の杏は、根元に犬の墓があって、墓のまわりには雑草の森林や、谷や丘があり、公園もあるのだが、杏の実はそこへ墜ちるのだ。猫が来て墓を無視することもある。杏の花は、むかし咲いた。花は桃色で、花は青空に粉を吹いたように咲く。それが実になって眼に見え出すと、むかし咲いた花を雄二は憶い出す。「来年は学校へ行くのだから、今のうちに遊んでおくのよ」と母は云うが、雄二は色鉛筆が欲しいと云って泣いた。大吉の石筆をもらって石に絵を描いたことはあっても、白い紙に色鉛筆でやってみたいのだ。到頭夜遅く、妹の守に連れられて、小学校の前の文房具屋へ買いに行った。帰り路の屋根の色は青く黒く、灯は黄色だった。「夜、色鉛筆使っても駄目よ、黄色なんか白と間違えるから」と姉の菊子は云う。雄二は、しかし、白と間違ってみたかった。……

版元からひとこと

2015年8月にサウダージ・ブックスから刊行された原民喜の小説集『幼年画』の「新版」です。読売新聞などのメディアで紹介され話題になり、多くの読者から共感の声をいただき、品切れになりました。

このたび発行元を瀬戸内人に移して、製本を並製から上製に変更し、「新装版・愛蔵版」として新たに刊行いたします。装画は、初版同様に画家・絵本作家nakabanさんの作品です。

これまでどこにも公表されなかった原民喜の手書きイラストも掲載し、資料価値の高い1冊。中高生にもおすすめしたい、日本文学の名作です。

目次

「幼年画」 

蝦獲り
小地獄
不思議
鳳仙花
招魂祭
青写真
白い鯉
朝の礫

「拾遺」
潮干狩り

解説 田中美穂

著者紹介

原 民喜(ハラ タミキ)
1905(明治38)年、広島県広島市に生まれる。少年時代より、次兄と雑誌「ポギー」を発行するなど文学に親しみ、同人誌に詩や散文を寄稿する。18歳で慶応義塾大学文学部予科に入学し、上京。創作活動のかたわら、左翼運動にも関心を深める。その後、同大学の英文科に進学。主任教授は詩人・英文学者の西脇順三郎、卒業論文は「Wordsworth論」だった。28歳で永井貞恵と結婚し、千葉市に転居。1935(昭和10)年、コント集『焔』を自費出版。「三田文学」を中心に作品を発表する。 1944(昭和19)年9月、39歳の時に最愛の妻・貞恵を喪う。太平洋戦争開始後、1945(昭和20)年1月に広島に疎開し、8月6日に原爆被災。戦後ふたたび上京し、慶応義塾商業学校・工業学校夜間部の嘱託英語講師を務め、「三田文学」の編集と創作活動に取り組む。1948(昭和23)年、「夏の花」で第1回水上瀧太郎賞受賞、翌年小説集『夏の花』を能楽書林より刊行。1950(昭和25)年、武蔵野市吉祥寺に転居し、日本ペンクラブ広島の会主催の平和講演会に参加するため帰郷。1951(昭和26)年3月、自ら命を絶つ。享年45。没後、訳書『ガリバー旅行記』および『原民喜詩集』が刊行された。

関連書籍

幼年画

戦後70年という歴史の節目に原民喜(1905~1951)の文学を紹介。原爆投下以前の広島の幼年時代を追憶する短編小説集。

原民喜/著
発売日 2015年07月31日
1760
(本体価格 ¥1600 + 税)

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